2025年7月5日午前4時18分、「世界が終わる」と言われた時間が静かに過ぎた。
ネットはその瞬間を迎えてもなおざわつき、誰もが何かを感じずにはいられなかった。
けれども──世界は今日も続いている。
この不思議な予言騒動の背景にあったのは、一冊の漫画だった。
「夢を見た時間」はなぜここまで話題になったのか
2021年に復刊された、たつき諒さんの『私が見た未来 完全版』。
そこには「2025年7月5日に大災難が来る」と記されたページがあり、多くの人がSNSで再注目した。
やがて拡散されたのが、「夢を見た時間=午前4時18分」という謎の時間指定。
この数字に根拠があるかは不明だが、真夜中の緊張感と都市伝説的盛り上がりは、想像以上の広がりを見せた。
・「4:18って…何も起こらなかったけど怖くて眠れなかった」
・「本当に夢見た日なの?時間までピッタリ?」
・「目が覚めた時、“生きてた…”って実感してしまった」
SNSで拡がる「滅亡する派 vs 滅亡しない派」のリアル
7月5日を迎える直前、X(旧Twitter)上では「信じる派」と「懐疑派」が激しく意見を交わした。
前者は「今夜は家で静かに過ごす」「最後に美味しいもの食べたい」といった声を、
後者は「予言に踊らされるな」「いつもの都市伝説」と冷静な視点で応じていた。
・「地震も台風もなくてむしろ良い一日だった」
・「毎年こういう“終末予言”あるよね」
・「ノストラダムス世代の親に笑われた」
一方で「準備した非常食が結果的に災害対策になった」という前向きな声も少なくない。
予言が“外れた”のに、なぜ話題は止まらないのか?
「予言は当たらなかったのに、なぜ今も語られるのか?」
それは、漠然とした未来への不安が「日付」と「時間」によって輪郭を持ったからだ。
混迷する時代、不確かな社会──私たちは“予定された不安”にむしろ救われているのかもしれない。
・「むしろ滅亡より、“何も起きなかったこと”がこわい」
・「夢だったってわかってても、共鳴しちゃうのわかる」
・「この社会に何か大きな変化が起きてほしかったのかも」
Z世代の中には、震災の記憶を幼少期に刻み、不安に耐性がある一方で、
スピリチュアルやオカルト的な“説明”にどこか安心を求めている層もいる。
最後に:わたしたちは何を信じて、どう生きていくのか
世界は、7月5日を超えた。
“滅亡しなかった”ことに落胆した人もいれば、ほっと胸をなでおろした人もいる。
でも一番大切なのは、「不安があったからこそ、日常を見直せた」という事実ではないだろうか。
予言は外れた。けれど、それは悪いことではない。
むしろこの日をきっかけに、明日をどう生きるかを考える時間を、私たちは“夢を見た”。
そして今日──目が覚めた。世界は続いている。