質問の手が上がらなかった夜――広陵高校保護者会が映した“沈黙の同意”の正体

8月10日夜、広島県広陵高校で開かれた保護者会に、約250人の保護者が集まりました。
野球部の甲子園出場辞退を受けた説明会でしたが、そこで起きたのは異例の光景――誰一人として、質問の手が上がらなかったのです。
堀正和校長は、その場を「同意していただいている証」と受け止め、「救われた」と語りました。
しかし、この発言と出来事はネット上で大きな波紋を呼んでいます。

広陵高校野球部と保護者会の経緯

広陵高校野球部は、部員の不祥事を理由に甲子園出場を辞退しました。
保護者会は、その経緯や今後の対応を説明するために開かれたもの。
約250人が集まった会場で、堀校長が説明を終えた後、質問を募りましたが、会場は沈黙に包まれました。
この「静寂」が、校長の口から“同意”と表現された瞬間、事態は思わぬ方向に広がっていきます。

ネットの反応――違和感と不安

SNS、特にX(旧Twitter)では、この出来事への感想や疑問が次々に投稿されました。
特に「沈黙=同意」という解釈への批判や不安の声が多く見られます。

- 「誰一人、質問の手が上がらず…これがどれだけ気持ち悪いかわかっているのかな?」
- 「本当に同意だったのか?沈黙は恐怖や圧力の結果では?」
- 「こんなに大人数の場で質問ゼロなんて、正常な場とは思えない」
- 「甲子園辞退の経緯や責任問題は説明されたのかすら怪しい」
- 「教育現場にまだこんな“空気”が残っていることに愕然」


これらの声は、「同意」と「沈黙」を安易に結びつける危険性を指摘しています。

なぜ質問が出なかったのか

大人数の場で質問が出ない理由は様々です。
心理的安全性の欠如、場の空気を乱したくないという同調圧力、さらには制度的な制約(野球部員が転校すれば公式戦出場まで1年以上かかるなど)が影響した可能性もあります。
特に学校やスポーツ界では、上下関係や権威への忖度が根強く残っており、「声を上げるリスク」が無言を選ばせることがあります。

沈黙は本当に同意なのか

「沈黙=同意」という解釈は、日本の文化や組織でしばしば見られます。
しかし、過去の学校・企業・政治の事例でも、沈黙は時に「諦め」や「恐怖」、あるいは「諦観」を意味することがありました。
その背景には、意見を述べても変わらないという諦めの空気や、逆に発言による不利益を避けたい心理があります。

教育現場が抱える課題

今回の出来事は、教育現場における「質問できない空気」を可視化しました。
質問しやすい場を作るためには、会の形式や運営方法を変え、匿名での質問や少人数の意見交換などを取り入れる工夫が必要です。
保護者会は情報を一方的に伝える場ではなく、双方向のコミュニケーションを生む場であるべきです。

結びに

今回の“沈黙”は、一つの高校だけの問題ではありません。
企業、政治、地域社会――あらゆる場で「声を上げにくい空気」は存在します。
「沈黙」を安易に“同意”とみなすのではなく、その背景にある心理や構造に目を向けること。
それこそが、私たちが組織や社会を健全に保つための第一歩ではないでしょうか。